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2011年1月

2011年1月31日 (月)

ラブ注入♡してくれました

最近。。。すさまじくよく喋る慶太happy01

とくにtvテレビからの吸収力は半端ないsign03

ホントに慶太は、笑わせてくれますheart01

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2011年1月28日 (金)

奇跡の1枚☆

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今年の年賀状用に撮れたcamerashine

奇跡の1枚ですhappy01

いろいろあって言い忘れてましたが。。。

年始の挨拶は、避けますが

今年もブログのんびり頑張りますrock

宜しくお願いしますm(__)m

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。。。こちらは、ボツ写真ですcatface

モグdog固まってますsweat02

今年は、もう一人増えて賑やかになるからね

慶太もモグも仲良くして、お兄ちゃん2人で

赤ちゃんの子守りよろしくねwinkheart04

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2011年1月18日 (火)

癒し系チャミ☆

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11月に実家に仲間入りしたcatチャミちゃんですheart04

慶太とモグにいじめられていますcoldsweats01

でもね・・・

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人恋しくて、温もり求めて

いじめられても、寄り添う姿に癒されますheart04

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今度は。。。どこにいるのかな?

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ここですheart04ちょこんと座る姿が可愛いですheart01

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久しぶりです。モグですdog

はじめはチャミが気になって追いかけたり

尻尾咬んだりしちゃって、ママに怒られて

僕は1階。チャミは2階と離ればなれの生活を

送っていましたが、少しは慣れていかないと

ママがお産で里帰りする時困るので

徐々に一緒に過ごす時間を

増やすようにしていますdogcatheart04

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ゆっくりでいいから仲良しになってね

明日、長々と実家に居た私と慶太は

広島の家へ帰りますhouse

一人で家のこと頑張っていてくれたパパ

ゴメンネ。いろんな思いを察してくれて

長いこと実家に居させてくれてありがとう

ここからは出産準備の為、里帰りする

ミーチャンにバトンタッチpaper

ミーチャンの赤ちゃんが生まれる頃

また見にhouse帰って来ますsmile

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2011年1月16日 (日)

上里バアチャンと私と慶太。

このブログで、上里バアチャンが

思い出以外で登場することは

もう二度と無い。

日頃、日記など書いてないけど

今の、この思いを何かしら残したかったので

今日は、思う存分・・・上里バアチャンのこと

書こうと思います。私ごとでスミマセン。。。

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1979年。上里バアチャン43歳と1歳の私です。

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1987年。上里バアチャン51歳と9歳の私。

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1992年。上里バアチャン56歳。14歳の私

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1998年。上里バアチャン62歳。私、成人式

このあたりから、一人暮らしを始めたので

仕事に、遊びに忙しく

上里バアチャン、ジイチャンとは盆、正月に会うくらいに

なってしまいました。

正月には必ずお守りをくれました

たまに会ったり、電話をすると

常に私の体を気遣ってくれました。

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2005年。私の結婚式。

このころから、ジイチャンは入退院を繰り返し

上里バアチャンは、お世話するようになったね。

少し痩せたけど、相変わらず元気で

人の心配ばかりしてたね。

2007年に私が妊娠した時は、母とバアチャンに

今流行の【トイレの神様?】らしき言い伝え

「トイレ掃除したら優しい子が生まれる」とか

「ザクロを食べたら唇が綺麗な子が生まれる」とか

何かしら電話くれては、言われ。

それに従ったおかげで

唇が綺麗で、とってもいい子が生まれました

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2008年。初ひ孫の慶太を抱っこ。

当時働いてた母に代わり

産後、父方の祖母と日替わりで来てくれて

昼夜、授乳で疲れている私を気遣い

喜んで慶太のお世話をしてくれた上里バアチャン

野菜の煮物や、卵やき。炊き込みご飯に

コロッケにカレーに・・・

子供の頃から慣れ親しんだ料理を

いつも持って来てくれた。

栄養のバランスのとれた良質で、たくさんのお乳を

慶太に、あげることができた。

小さく生まれた慶太が、ここまで体格の良い子に

健康な子になれたのは、

上里バアチャンのご飯のおかげだよ。

特に巻き寿司は・・・いつも大量で

この家は相撲部屋か!?と母と妹と言いあってた

そんなバアチャンの料理が

もう二度と食べられないんだね。と母と妹と話した

私は、慶太が生まれてからの2年間で

一生分のバアチャンの料理を

食べつくさせてもらったと思ってる。

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2009年。慶太の初節句のお祝いに。

慶太との写真は、どれを見ても幸せそうで

ろくに孫孝行してなかったけど、

ひ孫を見せてあげられて、抱いてもらえて

育児も手伝ってもらって、少しは孫孝行できたかな。

一人暮らしをしてからの数年間を埋めるように

慶太が生まれてからは、たくさん話をしたね。

離れてても手紙や写真で慶太の成長を知らせては

そのたび電話くれて。「慶太君。慶太君」って

言ってたね。2ヶ月1度くらいは会えたかな。

もっと会いに帰ればよかった。

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2010年8月 バアチャン慶太との初めての水遊び

今年も出来ると思ったのになぁ・・・

慶太に会えるのをいつも楽しみにしてくれて・・・

走るのが早くなった慶太を追いかけて

重くなった慶太を「無理しないで!!」って言っても

「大丈夫。」って抱っこしてたね

慶太に100%で接するバアチャンを見て

いつも自分の子育てに反省をしながら

よく付き合うわ。。。って思ってた。

こんなやり取りがずっと続くと思ってたのに

ホントに急にだよ。ビックリだよ。

もう少し。もう1ヶ月ちょっと生きてくれたら

妹の赤ちゃんも見せてあげられたのに

そして、せめてもう半年頑張れたら、

私の赤ちゃんも、見せてあげられたのに。

今年は、ひ孫が2人増えて+慶太の子守りも

大変で。。。でも賑やかになって

楽しみにしててくれたのにね。

もう少し長く。。。欲を言えばキリがありません。

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2010年12月18日。妹の結婚式

私が上里バアチャンを撮った最後の写真。

つわりの私に代わり、パパと2人で慶太を見てくれた

ありがとうを言っても言い足りないです。

今になって思えば・・・

当初は昨日(1月15日)が妹の結婚式だったけど

赤ちゃんが出来たので、12月18日に早めた。

何かに導かれるかのように・・・

おかげで上里バアチャンは妹の結婚式に出席できた

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妹のお色直しには、こうして父方祖母の本家バアチャンと

上里バアチャンが並んで手を取り披露宴の1シーンを飾った

最後に最高の幸せの姿を見せてあげられて

良い思い出を残してあげられて

ホントに良かったね。と家族みんなで話した。

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私と写った最後の1枚。もうこれからの

上里バアチャンとの思い出を刻んでいくことは出来ない

先日、妹の結婚式の様子をおさめたDVDと

今日、出来あがった結婚式の写真を見せてもらった

妹の結婚式を思い出し・・・泣き

テレビの中で動いている上里バアチャンに、また涙した

写真の中のバアチャンは常に慶太に寄り添い

慶太の方を見て目線が下がっている写真か、

本当に幸せそうに笑っている写真ばかりだった

私たちにとっても、妹の結婚式と上里バアチャンとの

最後の幸せな思い出が、形に残せて本当に良かった

結婚式の翌日

広島へ帰る私と慶太に会いに来た上里バアチャン。

「ミーチャンは嫁に行ったし。慶太も帰るし寂しい。

お母さん(テルチャン)も寂しいだろうから電話してあげてね」

と言いながら泣いてた。

これが私が聞いた最期の言葉になった

最後まで人の心配してた。

いつも慶太と私が帰る時、泣くので

そのたび「すぐまたあえるじゃん」ってなだめてた

この時も「2週間して年明けたらまた帰って来るから

そしたら、また慶太と遊んでや」と言った。

当たり前に年明けて、慶太と遊ぶ姿を見ることが

出来ると思っていた。

入退院を繰り返してたジイチャンとは違い

医者にかかったことないバアチャン。

いまだに料理もって遊びにやってきそう

元気に生きてそう。

まだまだ涙は出るけど少しずつ

この世界に上里バアチャンが居ないと

頭で理解してることに気持ちも追いついてきている。

慶太は写真を見るたび「あがりばあちゃん」という

母が「上里バアチャンこの前ネンネしたね」と返すと

「あがりばあちゃんねんね」という

このやりとりが、せつない。

慶太命だった上里バアチャン。

慶太に覚えていて欲しいな。

上里バアチャンがくれた、たくさんの愛。伝えていこうと思った

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2011年1月15日 (土)

突然のお別れ

ずいぶんと更新が無く、私の体調が

すぐれないのではないか?と

いろいろとご心配をお掛けしたことと思います。

私も赤ちゃんも元気です。

無事6日から5ヶ月になり安定期に入りました。

慶太もモグも元気いっぱいです。

更新が遅れた理由は別にあります。

気持ちの整理がつくまでpc開く気に

なりませんでしたが、今は落ち着きました。

話は大晦日に戻りますが。。。

大晦日の夜。母方の祖母(上里バアチャン)が倒れ

病院へ運ばれたと連絡が入り

モグを主人の実家に預け、すぐ病院へ駆けつけました

お昼に母と上里バアチャンは、お正月の買物へ出かけ

夕方、母が年越し蕎麦を届けた事を聞いていたので

何が何だか分かりませんでした。

集中治療室で、上里バアチャンは眠っていました。

夕方、母がお蕎麦を届けた後

外へビールを取りに行った上里バアチャンは

そのまま倒れ・・・病院へ運ばれた時には

意識も無く、両目の瞳孔も開ききり

急性クモ膜下出血で、

手術に心臓が、もたない状態でした。

呼吸器をつけていましたが、外傷は無く

血色も戻り、ただ眠っているように見えましたが

脳内出血は続いている状態でした。

慶太は「あがりばあちゃんheart01と呼んでいましたが

いつもの「け~たくん」という返事も

満面の笑みも無く・・・

泣いている母に私に妹に、その異様な雰囲気に

黙り込んでしまいました。

慶太が騒ぎ出し、病院へ迷惑がかかるので

いったん待機室へ移動し

水分を取っているところで年越しを迎えました

両親だけ残り、

私たちは仮眠をとることになり実家へ戻りましたが

眠ることはできませんでした

朝方、4時50分

上里バアチャンは永遠の眠りにつきました

突然の出来事に、現実を受け止める事が

出来ませんでした。

私以上に、数時間前まで一緒に過ごし

倒れていたバアチャンを発見し、救急車をよび

最期をみとった母の方が、今この現実が信じられず

全てが嘘のような、夢のような・・・

大きなショックと悲しみに包まれていたと思います。

2日にお通夜。3日にお葬式。

週末に、葬儀に来れなかった親戚が来たり

何かとバタバタ時間だけが流れていく中

バアチャンが居ないって

頭で分かっていても気持ちが追いつかず。。。

2週間経ちました。

私と慶太とモグは、まだ実家に居ます

生活は普通に戻りましたが

今でも、「け~た君。きたよ。」って

ひょっこり遊びにきそうだね。って

母と涙ながら話しています。

バアチャンの遺影を見ては慶太が

「あがりば~ちゃん」と言います。

車でバアチャンの家のそばを通ると

あがりば~ちゃん行く」と言います。

聞くたび、もう居ないんだ・・・と改めて思います

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